能登へ

金沢のみなし仮設から輪島へ

私は二児の母です。
震災後、家族で金沢に避難し、新しい生活を始めました。
けれどある日、子どもがぽつりと「輪島に戻りたい」と自分の意思をはっきりと伝えてきたのです。
その言葉に、私の心も揺れ動きました。
私自身も、気づけば輪島を恋しく思っていたのです。

そして今、私たちは完全に輪島に戻り、再びこの地で暮らしています。
瓦礫が残り、遊ぶ場所も限られ、子どもたちの習い事もままならない。
それでも、輪島での暮らしは、どこか温かく、心が安らぐのです。

戻ってきて改めて感じたのは、この町に流れる“人のあたたかさ”。
困っているときにはそっと手を差し伸べてくれる人がいる。
見守ってくれるまなざしが、そこかしこにある。
便利さやモノは少ないかもしれない。
でも、本当に必要なものは、すべてここにあったのだと気づかされました。

避難したからこそ見えた輪島の価値。
「何もない田舎」だと思っていたこの町には、実は、かけがえのないすべてが揃っていたのです。

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